ほんのよこみち なブログ

不登校とひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

十二国記『華胥の幽夢』を読んで考える、政権に物申すとはどういうことか。(ネタバレあり)

 ほんのよこみちです。

十二国記を細々と読んでますシリーズ、『華胥の幽夢』です。

 

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7 (新潮文庫)
 

 

それにしても、この『華胥』の胥っていう字、なかなか出て来なくて難儀しました。

出て来なかったのに、上の⤴リンクを貼った瞬間から、出てくんの。

すごくAmazonさんに負けた気分……💧

 

概要

この本は、新潮文庫ではエピソード7ということになっています。

講談社文庫版だと、『黄昏の岸 暁の天』のあとだったと思うんですが、もうだんだん好き勝手読んでます^^;

 

『華胥の幽夢』は短編集で、これまでの作品群のあとの話が収録されています。

泰麒の、祥瓊の(月渓の)、陽子の(楽俊の)、利広の、それぞれの後日談。

表題作?である「華胥」のみ、前日談ですかね。

 

なにしろ、登場人物の大半が超長生きな人たちなので、これいつの話? なのが結構あるのでね、十二国記は。

同じキャラクターがいる状況で、云百年が普通に経ってるというのは、時に感覚を混乱させてくれます。

 

以下、ネタバレありますので、ご了承ください。m(_ _)m

 

 

「華胥」で考える、無能でも生きられる世界

「華胥」は才国のお話で、悪政を敷いた前国王を倒した若者たちが、次の政権を担ったものの、行き詰まりを感じている、そういう状況の物語です。

前国王と同じ過ちを犯してはならない。

新王も新官僚たちもそう思い、同じ過ちを犯さないような国政を敷くものの、うまくいかない。

なぜか。

 

そんな中で、新国王の弟である馴行(じゅんこう)の言葉が、刺さるんですよね。

兄王の思い描く国には、愚かで無能な者の居場所がない、と。

 

悪政という見本を見てきた以上、前王とは逆の政策を取っていくことで、善政への道を目指そうとします。

腐敗のない、理想的な国家を思い描きます。

勤勉で、善良で、謙虚で、知性的で、有能な人間たちの、理想的な国家。

王や官僚たちがそうであれば、民衆もそうであろうと思い描く、夢の国家。

 

でも、そこには人間の弱さや愚かさの入る隙間はない。

能力の高い人たちには、そこに至らない人たちの苦悩がわからない。

無能で愚かな人間は、この国で存在を許されていないのではないだろうか? と。

 

なんか、自己責任論とか、障がい者差別にも通じるものがありますね。

生産性で人間の価値をはかるような言葉も、以前、出回りましたが。

能力云々に関係なく、健康で文化的な最低限度の生活を国家が保障するのがわが国なんですけど、それは建前に過ぎないとか、きな臭い方向に向かっています。

近代国家の歩いてきた道を、逆走するような思考ですねえ。

 

実は私も、勤勉で善良であるというのは、仕事をする上での当然の覚悟であろう、と思っていました。

いかに手を抜いてラクして稼ぐか、って、恥ずかしくない? と。

仕事中に無駄話したり、ネットサーフィンしたりって、どうよ? と。

やる気がないなら、仕事に来るな! ぐらいの気持ちでした。

 

でも。

自分の能力だって、さほどでもないですしねえ。

喋ってないと死ぬような人って、実際にいますし。

隙あらばさぼろうとする、仕事を自分事として取り組めない人も。

 

いろんな人がいて、得意不得意を補い合いながら、社会を回していく。

そういうもんだって割り切って、自分ができることからフォローに回るようにするしか、ないのかもな、と。

 

 

理想や理念を持つことは、確かに重要です。

ただ、現実に生きている人間って、理想どおりにはいきませんから。

そこのエラー具合をいかに許容できるか、受け止めてフォローできるかが、よきリーダーの資質として、問われる部分なんでしょうね。

 

いろんな能力、いろんな資質の人がいてこその国家ですから。

他者に危害を加える行為を必要悪とは思いませんが、その人の更生に力を注ぐのもまた国家。

目端のきく人のように、自粛で減った売り上げをカバーする新商品をつくれなくても、命の重みに変わりはない。

 

まあ、できない理由ばかりを並べて、現状肯定しかしないくせに、他者に悪態つくような奴は、もう知らんわって言いたくなりますけどね^^;

 

「華胥」で考える、政権批判をすることと政策立案することの、2段階性について

「華胥」という物語の肝が、政権批判することと政策立案することの差異について、のくだりだと思います。

 

現政権が重税を課していることに対して、批判する。

批判が的を射ていて、賛同者が多く集まり、政権を倒す。

でも、この段階では、何も成していない、という批判ですね。

政治とは何かという本質をわきまえた上で、対案を立て、実行すること。

そこまでやらないと、施政者として成したうちには入らないと。

 

確かに、そうです。

国会でも、野党が批判から入るのは、野党という性質上、構造的に仕方のないことなんですが、対案が弱いとパンチに欠けます。

ただ。

 

「華胥」で前政権を批判していたのは、若者たちで。

彼ら彼女らは政治というものを理解していなかったかもしれないけれど。

十二国記の世界で、政権につくというのは絶対権力を手にすることですから(ただし、道に背けば死が待っている)、政治素人が権力を持つのは、危険極まりないんですが。

それでも。

 

対案を出さずに批判するな、と言っているようで、それは若者の口を閉ざさせてしまうことにつながるので、残念に思いました。

 

個人的には、おかしいと思ったことをおかしいと言うことは、非常に大事なことだと思います。

賢い権力者が、若者に政治を学ぶ機会を与えなかったら、対案を考えられない若者は、どんな悪政にも耐えなければいけなくなりますからね。

それは、良識に反することです。

 

政策がおかしいと言われたとき、まず対案を考えるべきは、現政権でしょう。

そのために、国家権力の座についているわけですから。

自らの仕事を他者に押し付けて、平然としているのは、これまたおかしい。

 

「華胥」で問題になるのは、批判していた若者たちが、まとめて政権側に入ってしまったことですね。

野にあった間は、批判だけしていてもよかった。

けれど、一歩政権内に踏み込んでしまったら、政策立案できませんじゃすまされない。

ここの2段階部分をいっしょくたにしないように、ちゃんと分けて考えられるように。

 

個人的に「華胥」に登場する慎思という女性が、私は苦手です。

批判される側より有能でなければ批判する資格がない、なんて言ったら、誰も批判できなくなってしまうから。

他者の諫言を封じる思考ですね。

危険です。

 

「帰山」も興味深い

「華胥」以外の短編も、それぞれ面白いし、読んでいて学びになる部分があったりもします。

冒頭にも書きましたが、これまで登場したキャラ達が出てくる作品ばかりなので、時系列はいろいろですけど、すっと入って行けます。

 

利広の出てくる「帰山」は、奏の太子ゆえの圧迫というか、現役最長国ゆえの怖さが描かれていて。

国が斃れる時期の一つに、その王の死にごろ……なんて言葉が出てくると、一気にファンタジーなのに現実味を帯びてきます。

未来が怖くない人なんて、いないんですね。

 

ということで

十二国記もなんとなく読み進めてきて、残りの冊数が少なくなってきましたが。

てか、最新の2冊を買えてないんですけどね、自粛で。

ネットで買うことはできますが、できれば帯つきが欲しいんで。

こんなに自粛が長くなるとは、2月は思っていなかったですからねえ。

読みが甘かったです。

 

とはいえ、まあ、読書に充てる時間が増えたのは確かなので。

マイナスばかりでなく、プラスの発想にも持っていきたいところです。

今、記事にまとめるのが追い付かないくらい、読んでいるので。

読んで、メモして、考えて、メモして……ってやっていると、面白い。

人生、生きているうちにどれくらい楽しめるか、ですからね。

楽しみも自己完結しなきゃいけない昨今ですが、そこから新しいものがどんどん生まれていたりもするので。

 

今日も明日も良き日でありますように。

ありがとうございました。m(_ _)m