ほんのよこみち なブログ

不登校とひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

吉川英治『三国志』(7)を読んで感じる、老いと学びと死。

ほんのよこみちです。

立てつづけに『三国志』(7)読了しました。

(以下、ネタバレあります。ご注意ください)

 

三国志(7)(吉川英治歴史時代文庫 39)

三国志(7)(吉川英治歴史時代文庫 39)

 

 

三国志』も終盤です。

わかっていましたけど、 序盤からの重要人物が、ばたばたと死んでいきます。

てか、私の読んでいる講談社文庫版(上の画像のではない)は、裏表紙で壮大なネタバレをかましてくれてるんですよね~。

おおらかすぎるよ、昭和時代!(昭和60年11刷です)表紙はこれ⤵

 

 

老いの恐怖は、人の判断を狂わせる。

ネタバレ御免で書いちゃいますけど、この巻で、関羽曹操劉備も死にます。(張飛も死にます)

関羽は、樊城の魏軍を攻めている間に、呉に荊州を取られ、拠点をなくして敗退死。

曹操は66歳で病死。

劉備関羽の弔い合戦に行ったものの、呉の陸遜による返り討ちにあい、敗走中に63歳で病死。

(ちなみに張飛は、関羽の弔い合戦に際し、無理な白装束を部下に強要したため、暗殺)

その事実だけ取り上げるなら、老齢の域に入った武将たちが、朽ちるように死んでいった……と読めます。

ですが、当人たちの立場に立って、残りの人生が僅かであることを意識しながら読むと、怖いですよ~。

自分のこれまでの人生よりも、残り時間の方が明らかに短くて、その残り時間でいったいどれほどのことが成し遂げられるのか? と、悟ったときの恐怖。

読みながら、そのことが怖くてたまりませんでした。

私も50歳で、余命宣告を受けたわけじゃありませんが、確実に人生の後半戦ではあるわけで。

先刻「朽ちるように死んでいった」と書きましたが、やっぱり惨めなんですよね。

失敗の後の死……というパターンは、3人とも(張飛も含めれば4人)踏んでいるので。

失敗は仕方のないことですけど、老いによる焦りや驕りから導かれた失敗は、辛いです。

決して他人事では済まない老いと死について、考えさせてくれます。

 

やっぱり学問は重要で身を助ける。

この巻でも戦争はたくさん行われます。

そして、兵法をより学んだ方が勝つ……というふうに書かれています。

武勇の優劣ではなく、戦略が勝敗を分かつ、ということですね。

関羽による、魏の七軍水攻めとか。

陸遜による、荊州攻略、蜀軍撃退とか。

孔明による、南征とか。

華佗の医学もそうですね。1800年前なのに、外科手術を施す知識と技術は、ちょっと怖いですが。

知識の有無で生死が分かれる……という現場を読むと、学問の大切さが身に沁みます。

 

まあ、孔明の南征に関しては、これ盛りすぎやろ? という気がしないでもないんですがね。

敵が猛獣を戦力として導入してきたら、トロイの木馬みたいなのをすでにつくっていて、その木馬の中から応戦とか。(しかも火を噴く木馬やし)

敵地奥深く進軍していったら、硫黄だかなんだかを含んだ水が湧き出ているところで、普通なら全軍死滅するはずなのに、敵将の身内に出会って助けられるとか。

宿敵・孟獲が援軍として呼んだ近隣の部隊が、実は孔明と通じていた刺客だったとか。

ちょっと都合良すぎではありませんかね。

それだけ孔明の準備が抜かりなかった、ということなのかもしれませんが。

 

軍事だけじゃなく、蜀の内政についても、孔明はその能力を発揮しています。

鄧芝や馬謖など、有能な若手も見出しています。(まあ馬謖は、泣いて斬られる彼ですが)

孔明って、単なる秀才だったはずなのに、あれこれ背負いすぎではないですかね?

それだけ高学歴の人間が少なかったというか、そもそも学問を収めた人間が少なかったと言うべきか。

現代であれば、日本においても専門家はいるわけで、各々が学んだことを仕事にして、社会に貢献する……というのが理想論だとしても。

学問を学んだ人間というのは、社会に対する貢献度をいくらでもあげることができて、それはとても素晴らしいことで、そのことで皆が幸せになる。

だから、学びというのは大事なのかもしれない、と思いました。

自分個人の好奇心追究ももちろんですが、学ぶことで、自分の大切な人を幸せにする。

政治家になるとか、大企業に就職して高収入を得るとかだけじゃなくて。

日常的な様々な問題を解決するために、そもそも学問が存在する。

お金になる理系の学問ばかりじゃなく、文学系も必要だというのは、そういうことですね。

 

孔明の南征・北伐は、本当に正しい選択だったのか。

この巻の後半で、雲南省とかの奥深くに攻め込んでいったばかりなのに、巻末で孔明は北伐に向かいます。

劉備関羽張飛もなく、趙雲も老い、自身も40代後半になった諸葛亮

凡庸な前帝の子・劉禅や、人材の乏しい蜀の国内を憂いての、自身が生きているうちの外征……ということのようですが。

結局、彼があまりに有能だったため、他の人間を頼りなく感じ、後を任せるということができなかったのかもなあ……と思えてしまいます。

だって、あまりにも勝算なき外征でしょ。特に北伐は。

蜀の地の利を全く無視しているし。

個人的には、蜀の富国に勤めて、消極策でも侵略軍を追い払う程度に終始していれば、少なくとも蜀の民衆は安らかな暮らしを送ることができたと思うんですけどね。

 

ここでも、つまずきは孔明の老いだったんでしょうか。

劉備に仕えて20年の間に出来なかったことが、老いていく残りの人生で果たしてかなうのか? と。

なにしろ50過ぎれば老人の時代です。

劉備より二十歳ほど若いとはいえ、60代まで生きられる保証はないのです。

焦りによる自暴自棄。

漢帝国の再興を劉備と夢見たことは、孔明の呪縛だったのかなあと思えてしまいます。

蜀だけで満足してしまうことは、劉備に対する忠義に反す……と、自分で思い込んでしまったのかなあ。

当の劉備にやる気があんまりなかったことも、孔明を追い込んでしまったのかもしれないし。

せめて龐統が生きていれば、相談相手になったのに。せめて徐庶劉備軍にいれば。

 

結局、孔明自身が、自分を補佐する後進を育成しえなかった、そのことが彼を外征へと向かわせたんですね。

彼も人間ですから、他者を教育するには向かなかったのかもしれません。

ホント、人材育成って大変ですから。

だからこそ重要なんですけどね。

 

三国志で学ぶ人生。

この文庫シリーズが出たバブルのころ、三国志に学ぶ経営学……みたいな本がいっぱい出てて、それは安易すぎでは? なんて思ってたんですけど。

実際、年を経てあらためて読んでみると、結構人生学べます。

てか、普通のエンタメ小説にしても、文学にしても、登場人物のメインは若者なんですもんね~。

読んでて、こういう文章の書き方はすごい! とか、こういう人生って羨ましいな、とか、ああ若さだな~、とか思うことはありますが。

老いは難しいですよ。

近年、老いに関するエッセイ本なども、たくさん出てはいますけどね。

そういうのを手に取るほど、まだ老いていないよ! と言いたい自分もいたりして(^_^;)

 

1800年たっても、人間の悩みは変わらないし、つまずく部分も変わらない。

でも、先人のそういう姿を学ぶことだけは出来るから、心して生きていけばいいじゃないか。

そんな気持ちになります。

 

ちっぽけな個人ができることなんて、たかが知れているのではありますが。

だからこそ、自分の人生を自主的に生きていきたいものですね。

ご一読ありがとうございました。m(_ _)m