ほんのよこみち なブログ

不登校とひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

『天気の子』を観て考える、公共の福祉と生存権(ネタバレ前提)

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ほんのよこみちです。

ちょっと前になりますが、『天気の子』を観てきました!

今回の記事は、ネタバレ前提ですので、ご了承下さい。

 

tenkinoko.com

 

 

で。

 

空前の大ヒットを飛ばした『君の名は。』の次の作品ですから、まあ期待値は高くなりますよね。

映像の美しさ、音楽の合わせ方などは、文句なしだと思います。

前作が、エンターテインメントとしてのクオリティが非常に高い作品だったので、どうかなあ……という部分はあったのですが。

『天気の子』は、今、この時代だからこそ、つくられるべき作品だったんだなあと、思いました。

 

なんて、私は新海誠監督の作品を、さほど見ているわけではありません。

実は『君の名は。』も、映画館では観てなくて、TV放送で観たんですね~。

上の子が「母さんには合わなさそう」なんて言ってたので(;^_^A

まあ、若い子が主役の青春アニメを、今さら観てもな……という気はしないでもなく(^^;

なので、新海監督について、どうこう言える立場ではありません。

 

なんですけどね。

このラストは、今だからこそ意味のある選択だなあと、考えてしまうわけです。

 

まさか、この記事を、まだ映画を観ていない方が、読んでくださっているとは、思いませんけど。

これからネタバレがんがんありますので、お気をつけくださいね。

 

 

100%の晴れ女というヒロインの、不穏な未来については、もう最初っから全開で匂わせているので、観た方は、それがずっと気になっていたのではないかと思います。

陽菜は死ぬのか、助かるのか。

まあ、しょっぱなのモノローグで、主人公・穂高が「世界のかたちを変えてしまった」って言ってるんですけど、それがどういうことかなんてわからないし。

ストーリー構成としては、オーソドックスな流れで、穂高と陽菜は追い詰められていきます。

未成年であることの限界。

子どもだけで生きていくことの大変さ。

でも、ありえないような甘い大人が都合よく登場して、意外と手を貸したりして。

うん、そんなにうまく世の中はできていないよ、なんて、ちょっと思ったりして。

 

陽菜に「晴れ女業」をすすめたのは穂高なので、やっぱり責任は感じざるを得ないですよね。

ましてや、好きな子だ。

雨ごいならぬ晴れごいの代償として、陽菜は消えていきます。

なのに、警察に身柄を拘束されてしまう穂高

 

ですが、穂高は脱走して、あの鳥居をくぐって天上にワープし、陽菜を連れ戻します。

東京の晴れと引き換えに。

 

陽菜の生命と引き換えに、東京は雨が降り続いて、街の一部が水没します。

3年間の雨。

この先、いつ晴れるともわからない、東京。

低地に住んでいた人々は、引っ越しを余儀なくされます。

都市機能は大きく変わらざるを得ず、被害総額は莫大でしょう。

3年も雨が続くと、水没していない他の地域も、カビの大量発生とかあるでしょうし、人体に影響が出ているかもしれません。

 

それでも、一人の少女の生命を救うことを選んだ主人公を、その決断を、私は支持したいと思います。

ヒロインを犠牲にして日常を享受する、そんな浪花節ストーリーにしなくて、ありがとうと言いたいです。

 

『天気の子』の世界の東京に住んでいたら、多分私も、晴れない毎日に不平を言っていたことでしょう。

これが現実だったら、少女に損害賠償請求権を振りかざす輩も、出てきていたかもしれません。

今の日本はそういう国です。

「こっちは迷惑を被っているんだから」って言う人、いそうですよね。

 

でもさ、人ひとりの命の方が、大切じゃないですか?

 

「彼女は自分で晴れ女業とかやって、自分で寿命を縮めたんだから、自業自得じゃん?」そういう声も聞こえそうです。

15歳の子に、そういう無慈悲なことを言えますか?

本人は知らなくて、皆が喜んでくれるからと、生活のためにやっただけです。

「未成年は児童養護施設に行くべきだ」って? それが本人は嫌だったんですよ。

自力で生きたかった、自立したかった、ただそれだけ。

 

この国は、未成年者に対する人権意識が、まだまだ薄い部分があります。

未成年者保護のための法が、逆に未成年者を縛っている。

未成年は、弱者です。

皆で守ればいいじゃないですか?

 

陽菜には、雨の中を生き続けるか、消えるか、その選択肢しかありませんでした。

穂高は、雨が止まずとも、陽菜の命を救う方を選んだ。

人の命は、消えればそれでおしまいです。

人生は、一度しかありません。

「皆の日常の(晴れの)ために、死んでくれ」なんて傲慢です。

東京には、1000万人以上の人が住んでいます。

1000万人が知恵を出し合えば、陽菜の命を守って、低地に住む人の暮らしも守って、水没したインフラに変わる新しいシステムも考えて、新東京がつくれるんじゃないですかね。

 

誰かの命を犠牲にして、1000万人が思考停止して暮らすなんて、それじゃあ人類は進化しません。

考えるから、我々は生き延びて来られたんです。

困難な現実も、知恵と工夫で乗り越える。

地球は、人類にだけ特別優しいという訳ではありませんからね。

数多の絶望的な困難を乗り越えてきたからこそ、今の繁栄があるんです。

そして、現状が絶対不変の楽園などでは、ない……決して。

 

未成年の純粋さは、大人の打算をものともせず、世界のかたちを変えました。

現実でも、ときに大人たちが、若者から与えられた宿題に、右往左往することがあります。

でも、自己責任だって突っぱねるより、頭をひねって問題解決させちゃう方が、格好いいですよね? すごく。

常識だから、伝統だから、規則だから、社会通念上、適切だから。

そうやって思考停止していると、感性も頭脳も、どんどん劣化してしまいます。

だから、子どものように純粋に、常識より、人の命や権利を優先させようよ。

それが、成熟した民主国家というものです。

 

 

なんてことを、映画を観終わってからずっと考えていました。

多分、この作品は、観る方によって違う解釈があるのだと思います。

少なくとも私は、大人として、すべての未成年者の権利を守ることに、もっと柔軟にならなきゃ恥ずかしいなと、考えるようになりました。

もちろん未成年者だけでなく、すべての人の人権を守れる社会にするには、どうしたらいいのか、とも。

現実は、難問山積です。

それでも、自分が生きているうちに、できることはやりたいじゃないですか?

死んだら何もできません。

生きている、今、この一瞬がすべてです。

ならば、やりたいことをやって、自己満足しながら逝きたい。

この映画は、自分の生き方を考えさせてくれる作品です。

面白かったです。

ありがとうございました。m(_ _)m

 

天気の子 - Wikipedia

 

 

トップ画像:しみるけいさんによる写真ACからの写真