ほんのよこみち なブログ

不登校とひきこもりの子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

文月悠光さんの『臆病な詩人、街へ出る。』を読んで、生きづらさと詩のこれからについて、考える。

ほんのよこみちです。

前回に続いて、文月悠光さんのエッセイ集『臆病な詩人、街へ出る。』を読みました。

 

臆病な詩人、街へ出る。 (立東舎)

臆病な詩人、街へ出る。 (立東舎)

 

 

 この本は、いわゆる「やってみた!」本です。

なんですけど、破天荒なものではなくて、そこは臆病な詩人の文月悠光さん。

人によっては日常的なことであっても、そうでない人もいます。

そんないろいろな挑戦をすることで、自らの弱さと向き合い、その弱さとどうつきあっていくか考える。

この本は、文月さんの決意表明のようなエッセイ集だと思いました。

 

 

というのも「娼婦」事件ですよ。

 文月悠光さんが「詩人じゃなかったら娼婦になっていたのでは?」と公の場で言葉を投げつけられた、事件です。

本文中では事件と書かれているわけではないのですが、これはもうセクハラ以外のなにものでもないですよね。

文月さんは大人の対応をされてましたが、この章の最後に次のような文章がありました。

 

 

〈現代の日本社会において詩人であること〉って?

言葉による暴力を許さないこと。この瞬間を切り取るためにペンを走らせ、声を上げること。醜い言葉を撃ちつづけること。

窒息しそうなこの世界に、言葉で風穴を開けることーー。(本文より)

 

 

2年半前の文章ですけどね。

イムリーというか。

全然日本社会って進歩してないじゃんというか。

それでも、今、こういうことを問題化できるまでには、進歩したんだよね、というか。

こういう方をつぶしてはいけないです。

 

 

これの次の章の「フィンランドで愛のムチ」も壮絶というか、お辛かったのではないかと思います。

生きづらいと思う、その辛さの原因が、自分の弱さにあって、その弱さとは逃げと受け身の姿勢にある。

……なんて、ちょっと辛過ぎて、すぐには向き合えませんって。

それでも、一生懸命向き合って、そういう弱さとつきあっていこうとする、そんな文月さんの姿勢が、多くの共感を呼ぶのでしょう。

逃げと受け身の姿勢については、この本全体のテーマであるとも言えます。

 

 

しかし。

これは文月さんのせいというより、日本の教育がそういう人間をつくるようにできているのだから、仕方ないんです。

それに、虐待という認識がされ始めたのも、ごく最近のことですから。

自分の受けた教育が、場合によっては虐待になるなんて認識がなかったわけですから、みんな被害者なんですよ。

子どもの人権なんてなかったですからね、これまで。

うちだって、絵にかいたような虐待の連鎖です。それを断ち切ろうともがいているものの、絶対子どもは傷ついている。

なので、親世代の人間として、切ないです。

 

 

多分、文月さんファンの方たちも、みなさん被害者なんですよね。

ご本人の責任ではないことで、苦しんでいる人たちがいる。

本当は、我々親世代も心に空虚さを持っているんですが、見ないふりを決め込んでいて、若者にあたっているのかもしれない。

なんだかなあ、むなしいです。

 

 

むなしいと言えば、文月さんほど詩業界のこれからを考えている方もいないかもしれないのに、風当たりが強いのにも驚きました。

「臆病な詩人がアイドルオーディションに出てみたら」の章ですね。

詩は国家や資本主義に屈するべきではないって、そりゃそうかもしれませんが、資本主義を利用することは、また別の話じゃないかと思ったので。

国家に迎合されると、ちょっと引いてしまいますけど、詩人だって霞を食べて生きていけるわけじゃないですしね。

 

 

旧来のやり方とは違うかもしれないけれど、新しい挑戦ではある。

売れないって文句を言うくらいなら、行動すべし。

行動してはじめて、見えてくる世界がある。

と思うんですけど……。

 

 

個人的には、詩もサブカル系に舵を切ってもいいんじゃないか、と思っています。

詩の二次創作利用とか。

キャラ系長編とか。

現代詩のかたち自体、定型詩から見たら異端だったわけですし。

だいたい歴史的に見ても、イノベーションって若い人がやってくれてますし。

近代日本文学だって、若者文学ですよね。

 

 

というようなことを、この本を読みながら考えてしまったのでした。

文月さんは「詩人である」という一点をのぞけば、普通の現代の若者で、ただ特異な一点を背負っているために、荒野を切り開いていこうとされている。

 

 

捨て鉢でもいい。格好悪くても、滑稽でも、がむしゃらに立ち向かったという記憶が、自分の「未来」を支えてくれるように思うから。(本文より)

 

 

こういう方は、応援させていただきたくなります。

ああ、自分も行動しなきゃって思います。

 

 

人は「臆病さ」と「勇敢さ」のグラデーションを持って生きているのだ。(本文より)

 

 

ああ、それでいいんだって思えたら、この先の見えない時代にも光が差したような気持ちになります。

強くあらねばいけないって、そんな強迫観念ばかりが横行してますけど、四六時中、超人を目指してばかりはいられません。

弱音を吐いたからって「だから?」「不幸自慢?」ってツッコまれない社会。

親世代として、そういう弱さをも受け止める寛容さを持ちたいんですけど、「だから何?」と返してしまうときがあったりします💦

みんなもう「臆病」でもあり「勇敢」でもある、そういう生きものです! でいいじゃん! って。

 

 

だから、この本は「希望」なんだなと思いました。